レイジング野郎

特撮多めの不定期ブログ たま~に関係無いことも

『仮面ライダーエグゼイド』30話「最強VS最強!」感想+考察

▼『ゴースト』は命の扱いが"軽い"のか?

タケル「良く聞いて。貴方が閃きだと思っているのは眼魔って言うゴーストの仕業なんです。貴方は利用されてるんです!」

園田 「訳の解らん事を!わしは、1%の閃きの為なら、命だって惜しくないんだ!」

タケル「命が惜しくない?命は…、命はそんなに軽くない!

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 上記の掛け合いは『ゴースト』2話「電撃!発明王!」より。2話のゲスト、園田を利用していた眼魔から彼を護る為にタケルは説得を試みるも、園田は命を懸けてでも転送装置を完成させようとする。しかし、1話で既に命を落としているタケルはその発言に怒りを見せる。「命はそんなに軽くない」と。

 『ゴースト』では割と多くの人間が亡くなっている。本編ではフミ婆やアドニス、龍さん、一般人ならカプセルの中の人々、夏映画では深海大悟、『スペクター』ではジャイロと西園寺、眼魔世界の民達がその命を絶っている。その者達は決して蘇らない。
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 『ゴースト』はよく、「"生き返り"が多いから命の扱いが軽い!」と批判されるが、実際、劇中で生き返った人間ってカノンとタケルくらいしかいないんですよ。二人はどちらもグレートアイの力で復活するのだが、それを起動させる為には15個の英雄の眼魂が必要な為、決して簡単な所業ではない。でもって、カノンの場合はタケルが彼女の命を優先したことにより、序盤での復活を果たしたが、次にグレートアイを起動させようとした25話ではタケルはグレイトフル魂の力を手にしてしまった事で、ガンマイザーが本格的に活動を開始してしまい、眼魂が集まっても、グレートアイへの介入を邪魔され、願いの成就を拒まれてしまう。だからタケルが完全に復活したのは全てが終わった後である本編最終回(49話)なのである。命とは、簡単に蘇ってはならないものなのだ。
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今回の『エグゼイド』では檀黎斗/仮面ライダーゲンムがまさかの返り咲き。「死んだ人間は生き返らない」のが『エグゼイド』の胆だったので、『てれびくん』を読んでこの情報を知った時はちょっと萎えてたのだけれど、社長は人間としてではなく、バグスターとして復活したのか。これでは話が変わってくる。
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 故人の復活の可能性が示唆された事で、次回の飛彩はゲーム病で亡くなった彼女の転生を思う。しかし、それが"人間"として復活するのと"バグスター"として復活するのでは全然意味が違ってくる。また飛彩の葛藤が描かれるのか。爆走バイクガシャット(ガシャットロフィー?)を持ってると言う事は貴利矢についても少しは触れられるのかな?
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 ゲンム レベル0は倒されてもコンティニューが利くらしく(まさにゾンビ!)、それ故に黎斗は命を軽視する事からエグゼイド/永夢と一悶着するのかな。「ノーコンティニューでクリアしてやるぜ!」と言うエグゼイドの決め台詞は、一つしかない命をはって戦うエグゼイド(とドクターライダー達)の謂わば覚悟の言葉なのだけれど、ゲンムの場合は死を顧みずに戦う事が出来る。そこに永夢は憤怒する、と言う流れかね。「バグスターは何度倒されても蘇る」と言う設定だったけど、そうか、黎斗はそのバグスターと同じ思考を持つ事となったのか。黎斗と永夢が真に認め合い、共に戦う時は来るのだろうか…?そして…、
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 リプログラミングの効果により、パラドは人間の遺伝子が組み込まれたと同時に"命"と言う概念も手に入れたのか。パラドに"命"が備わった事で、永夢がパラドをどう扱うのか、ここも見所の一つ、かもね。

 

ではこれにて。