レイジング野郎

特撮多めの不定期ブログ たま~に関係無いことも

男の子はプリキュアになれるのか?

 「いきなり何の話だよ!?」と思われるかも知れないけど、何の話も何も、今回はそう言う話です。それではどうぞ。

▼初めに

 以下の引用は『ユリイカ2012年9月臨時増刊号 総特集=平成仮面ライダー仮面ライダークウガ』から『仮面ライダーフォーゼ』、そして『仮面ライダーウィザード』へ…ヒーローの超克という挑戦』(以下、『ユリイカ』)に掲載された評論家、筒井晴香の評論、『女の子はライダーになれたのか』の冒頭部分である。

 平成仮面ライダーシリーズにおいて、女性ライダーの登場はひとつの特徴的なイベントと言ってよい。昭和シリーズ第五作『仮面ライダーストロンガー』(一九七五年)に登場し、変身して戦う改造人間という仮面ライダーと同様の性質を持ちながら、作中で「仮面ライダー」の名を冠されることはなかった電波人間タックル・岬ユリ子を別にすれば、女性が変身するライダーは平成シリーズ第三作『仮面ライダー龍騎』(二〇〇二―〇三年)の劇場作品である『劇場版 仮面ライダー龍騎 EPISODE FINAL』(二〇〇二年)にて登場した仮面ライダーファム・霧島美穂が史上初となる。以来、女性がライダーに変身するというエピソードは平成ライダーシリーズにおいて何度か登場している(アギト化した沢木雪菜を除く)

 とはいえ、女性ライダーの登場はいまのところゲストとしての一時的なものに留まっている。主人公はもちろんのこと、いわゆる二号ライダーのような形でレギュラーとして女性ライダーが登場した前例はない。平成シリーズにおいて、ライダーである/ライダーになることへの女性キャラクターの関わり方は、単に「いまでは女の子もライダーになれる」と言うだけでは尽くされない、独特なものとなっている。この点に光を当てることは、平成シリーズにおいて、表立っては見えてこない一側面を明らかにする試みになるだろう。ここでの問いを端的に述べれば次のようになる。「女の子はライダーになれたのか」。

 この問いに対し、想定できる反応として次のようなものがある。

 「仮面ライダーは男の子向けの番組である以上、商業的な制約もあるだろうし、仕方がない」

 「それに、女の子にはセーラームーンプリキュアがあるじゃないか」

 『映画 プリキュアオールスターズ NewStage みらいのともだち』(二〇一二年)のキャッチコピーは次のようなものだった──『女の子は、誰でもプリキュアになれる‼』そう、女の子は誰でもプリキュアになれるのだ。女の子はプリキュアというヒーローになって自由に飛び回り、活躍すればよいのではないか──。

 「女の子は誰でもプリキュアになれる」──以下ではこの言葉を「女の子はライダーになれたのか」という問いに加えて、もうひとつの導きの糸としたい。これはきわめて力強い宣言である。それだけに「じゃあ、男の子はプリキュアになれないのか?」という問いかけを呼ぶような、ある種の排他性を帯びているといえる。

▲『ユリイカ』より、筒井晴香『女の子はライダーになれたのか』より。

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 今回はこの評論をベースに、やはりこのブログは「特撮ブログ」なので、特撮作品も取り上げながら考察していこうと思う。それと、前々から言ってるけど、自分は『プリキュア』シリーズを観始めたのは最近からな人間。『まほプリ』~『ハグプリ』の通称(?)プリキュアスーパースターズ」しかまともに観た事がありません。と言う事で、この記事で引き合いに出す『プリキュア』シリーズは基本的に現在放送中の『HUGっと!プリキュア』(以下、『ハグプリ』)のみですのでご了承下さいませ。「俄の癖に『プリキュア』を語るな!」とか言わないでね…。それでは始めていきましょう。

▼男の子は誰でもライダーになれるのか?

 「女の子は誰でもプリキュアになれる」のであれば、「男の子は誰でもライダーになれる」のか?と、言われると、そうではない。以下は冒頭の引用の続き。

 これに対して再び、「男の子には仮面ライダーがある」と返されるかもしれない。男の子には仮面ライダースーパー戦隊が、あるいは『ドラゴンボール』や『ワンピース』がある、と。確かにこれらの作品群は「男の子向け」であろう。だが、ここで新しく問う事が出来る。「「男の子は誰でもライダーになれる」のか?」

 答えはノーである。平成シリーズにおいては"ライダーになろうと苦心した/なれなかった男の子"の物語が確かにある。プリキュアになれる可能性が全ての女の子たちに開かれている(少なくともそう明言されている)のに対して、ライダーの方には、果たして同じ状況があるといえるだろうか。換言すれば、果たして「男の子はライダーになれるのか」。

▲『ユリイカ』より、筒井晴香『女の子はライダーになれたのか』より。

  男の子は誰でもライダーに"なれない"。

 そう、女の子が誰でもプリキュアになれるのに対し、ライダーは男の子だからって誰でもなれる訳ではないのだ。筒井晴香はこの評論の中で、「ライダーになれなかった男の子」として、『仮面ライダーフォーゼ』の歌星賢吾を例に上げているのだが、それは後述。ではこうなった場合、「何故、男の子は誰でもライダーになれないのに、女の子は誰でもプリキュアになれるのか?」と言う問いが生まれるのだが、先ず踏み込んで行きたい点はココ。

▼女の子は"本当に"誰でもプリキュアになれるのか?

 「女の子は誰でもプリキュアになれる‼」とは言うものの、只、女の子であればプリキュアになれる訳ではない。つまり正確にはこのフレーズは「女の子は誰でもプリキュアになれる(可能性を秘めている)‼」と言う事になるね。実際、『ハグプリ』でも主人公たる野乃はながプリキュア(キュアエール)に変身出来なくなってしまった回があった。

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ハリー「クライアス社や!はな!」

はな「うん!ミライクリスタル!ハート、キラッと!」

(しかし、変身がキャンセルされてしまう。)

はな「…!?」

ハリー「はな!」

はな「ハート、キラッと!どうして!?」

ハリー「しっかりしや!集中や!」

はな「ハート、キラッと!ハート、キラッと!ハート、キラッと!…なれない…私…プリキュアに…なれなくなっちゃったよ…。」

ハリー「もう一回や!まだやれるで!はな!」

はな「なれない…なれないよ…。」

▲『HUGっと!プリキュア』10話「ありえな~い!ウエイトレスさんは大忙し!」より

 プリキュアへの変身の条件が「「女の子である事」"だけではない"」、と言う証拠なシーンがここである。プリキュアの変身はメンタルに左右される側面がある。「自分には何もない、何も出来ない」と言うはなの劣等感、ネガティブな心がプリキュアへの変身を妨げたのだ。逆に言えば、ポジティブな心を持てばプリキュアへの変身は可能なのである。それは…男の子も女の子も関係無いのではないか?

▼ライダーとプリキュアの違いは

(中略)ライダーではない立場からライダーになろうとした男の子たちは物語の中でどのような経緯を辿ったのか。彼らのうちには、ライダーになることができた者もいれば、そうでない者もいる。ライダーになれば非人間なら孤立して"境界線上"に立つこととなるが、なることができなければ自らの無力さを引き受けざるを得ない。いずれにも相応の苦しみがあるといえる。

▲『ユリイカ』より、筒井晴香『女の子はライダーになれたのか』より。

  ライダーになることは「ネガティブ」に捉えられているのに対し、

 ここで、「女の子は誰でもプリキュアになれる」を思いだそう。「女の子」の秘められた力、可能性を称揚するこの言葉は、プリキュアというヒーローが孤独や疎外を伴わず、どこまでもポジティブであることを示している。これは確かに、女の子への協力なエンパワーメントである。

▲『ユリイカ』より、筒井晴香『女の子はライダーになれたのか』より。

 プリキュアになることは「ポジティブ」に捉えられている点である。

 ここで言う"境界線"とはどう言う事かと言うと、ライダーのルーツの1つとして「敵と同族である」と言うのがあるが、彼らは人間でも怪人でもない、中途半端な立ち位置故に、どちらにも安住する事が出来ない「孤独」な存在である。この特徴から、人間と怪人の"境界線上の存在"として、「独り」である悲劇を表しているのだ。対して、プリキュアはあまり「孤独」と言うイメージはないわよね。そう、「一人じゃない」と言うのがプリキュアの最も優しく美しい点である。

▼みんなでヒーローになる

  冒頭で、『仮面ライダーフォーゼ』に登場する歌星賢吾と言うキャラクターに触れたのを覚えているだろうか?彼は"ライダーになれなかった男の子"である。(画像は如月弦太朗だけど!)

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ユウキ「待って!フォーゼは駄目よ!」

賢吾「ゾディアーツを倒すにはこれしかない。」

ユウキ「でも、賢吾君の体力が持たない。ダイザーの操縦ですらヘトヘトだったじゃない!」

賢吾「俺がやるしかないんだ…。」

ユウキ「待って!」

賢吾「退いてくれ、時間の無駄だ。」

弦太朗「おあーーっ!!?うわああぁーー!?」

ユウキ「弦ちゃん!」

弦太朗「何だここ!妙にふわふわすんな!うわぁ…!」

(ラビットハッチの重力装置を解除する賢吾。ハッチ内は有重力に。)

弦太朗「おわっ!?なんか、秘密基地みたいで格好いいな!」

賢吾「後を憑けたのか。」

弦太朗「まさかあのゴリラをお前が操縦していたとはな。」

賢吾「そこまで見てたのか…。」

弦太朗「寄越せっ!」

(賢吾から強引にフォーゼドライバーを奪う弦太朗。)

賢吾「貴様ッ…!」

弦太朗「話は聞いた。これならあのバケモンが倒せんだろ?」

(中略)

賢吾「返せ!それは俺のッ…!」

(その瞬間、賢吾に頭痛が走り倒れ込む。)

ユウキ「賢吾君!」

弦太朗「ほら見ろ。今のお前じゃ無理だ。」

賢吾「だが君にも無理だ。」

弦太朗「やってみなくちゃ分かんねぇだろ。」

賢吾「ふざけるな…!」

弦太朗「ここは俺に任せろ。」

賢吾「おい待て!」

(またもや頭痛が走り倒れ込む賢吾。ハッチから出ていく弦太朗。それを追い掛けるユウキ。)

賢吾「何で俺はこんな身体に生まれた!!」

▲『仮面ライダーフォーゼ』1話「青・春・変・身」より。

 だが、そんな賢吾を救ったのが仮面ライダー部」だ。

 フォーゼに変身するのは主人公の如月弦太朗だが、ライダーとしての彼の活動は常に仮面ライダー部員達に支えられている。フォーゼというライダーは、仮面ライダー部全員の手で作り上げられているのである。この、いわば、"みんなでライダーになる"という設定が、実際にライダーに変身するキャラクター/変身しないキャラクターの立ち位置に興味深い特徴を与えている。

 フォーゼに変身する如月弦太朗は、孤独や疎外といった問題に囚われておらず、むしろ誰とでも積極的に関わって、周囲に人間関係を作り出していく存在である。また、虚弱体質ゆえに自ら変身することが叶わなかった"ライダーになれなかった男の子"歌星賢吾は、フォーゼの作戦参謀を務め、仲間達と共にライダーになることでひとつの達成を得た。

▲『ユリイカ』より、筒井晴香『女の子はライダーになれたのか』より。

 また、筒井晴香のこの評論では「女の子」が主役である事から、仮面ライダー部の女部員達(城島ユウキ、風城美羽、野座間友子)についても触れている。

 そして、『フォーゼ』で特徴的なのは女性レギュラーメンバーの多さである。ジェンダー性が薄く型破りなキャラクターである城島ユウキ、また、自らの価値観をもって動く弦太朗に相対することで彼の盟友となった風城美羽、野座間友子──彼女らはいずれも"ライダーになれない女の子""ヒーローに守られるヒロインとしての女の子"といった役割からは幾分自由な仕方で、ヒーローの物語に従属的ではないドラマを展開している。

 ライダーの役割を「部活動」として互いに分け合うことは、ライダーの苦悩・ライダーになれない者の苦悩の双方に対し、ひとつの解決を与えたといえる。"男の子も女の子も、みんなでライダーになれる"──これは美しく、優しい物語であるように思える。

▲『ユリイカ』より、筒井晴香『女の子はライダーになれたのか』より。

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 仮面ライダー部」は、部員全員を「ヒーロー」にする事で「ライダーになれない男の子/女の子」を救済したのだ。

塚田 (中略)小惑星探査機「はやぶさ」しかり、有人宇宙飛行50周年、スペースシャトルが引退等と盛りあがっていることもあり宇宙開発について、色々調べてみたら、宇宙飛行士になることの大変さや、そこにあるドラマにとても興味を持ちました。「仮面ライダー」は一人で戦うヒーローですが、戦うために色んな仲間がバックアップする……それはたとえば、宇宙飛行士をひとり飛ばすためにたくさんのクルーがいて、飛び立ったとしても「アポロ計画」のように月面に降り立つ人もいれば降りずに船内で見守る人もいるわけで。そういった人々の存在に支えられてはじめて、ひとりのヒーローが戦えるのはおもしろいかな、と。

▲『仮面ライダーフォーゼの教科書』より、塚田英明のインタビュー。

 この、「みんなでヒーローになる」と言うのは『ハグプリ』でも体現されている。それが愛崎えみる(キュアマシェリ)とルールー・アムール(キュアアムール)だ。

▼トモダチという奇跡

🖤1 オシマイダーを あいてに キュアエールが だいピンチ! えみると ルールーが おうえんしたわ!

キュアエール「きゃあ!」

ルールー「フレフレ! エール!」

えみる「あきらめては だめなのです! しんじれば きせきは おこるのです!」

🖤2 すると、 ふたりの こころから アスパワワが あふれて、 ミライクリスタルが あらわれたの!

えみる&ルールー「こころが あふれる……! ミライクリスタル! ハート キラッと! は~ぎゅ~! かがやく みらいを だきしめて! みんな だいすき! あいの プリキュア!」

キュアマシェリ「キュアマシェリ!」

キュアアムール「キュアアムール!」

🖤3 えみると ルールーが ふたり いっしょに プリキュアに へんしんしたわ!

🖤4 キュアマシェリと キュアアムールが、 プリハートを つかって オシマイダーに うちかったわ。

キュアマシェリ「フレフレ!ハート・ソング!」

キュアアムール「フレフレ!ハート・ダンス!」

▲『たのしい幼稚園 2018 8月号』より。

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 えみるとルールーを"二人同時"にプリキュアにした事で、「みんなでヒーローになる」をより明確に体現させたと言える。

 ルールーがプリキュアになれたのはえみるだけのお陰じゃないしね。はな、さあや、ほまれ、野乃家の皆、色んな人との触合いを経て、晴れてプリキュアへの変身を遂げた。「アンドロイドなのにプリキュアになれるのか?」乃至は「もしルールーが男型アンドロイドだったらプリキュアになれなかったのか?」と言った観念をぶち破ったのは清々しい。因みに、アンドロイドがプリキュアになるのが史上初なのは言わずもがなだが、えみるも実は「初」な事がある。今までにも小学生プリキュアと言うのはいたにはいたが(調辺アコキュアミューズ、円亜久里/キュアエース)、どうやらどちらも異世界人とかだったりするみたいなので、ほんとに「普通の小学生」プリキュアになる、と言うのも実は史上初らしい。…自分はついこの前まで「ハートキャッチプリキュア(キュアブロッサムキュアマリン)」は小学生だと思っていた…!

坪田 そういえば『えみるを小学生にしよう』というアイデアはサトジュンさん(注:『ハグプリ』シリーズディレクター佐藤順一の愛称)でしたね。ちっちゃい女の子が好きだからですよね?(笑)

佐藤 違いますよ!(笑)視聴者の子どもたちに近い年齢のレギュラーキャラがいると、その子の目線が視聴者とリンクするでしょ?「プリキュア、カッコいい!」と憧れる、ちっちゃい子がいるといいなと思ったんです。

▲『アニメージュ 2018 7月号』より、坪田文佐藤順一のインタビュー。

 新プリキュアを二人共「初めてプリキュアになる存在」にする事で『ハグプリ』のキャッチコピーである「なんでもできる!なんでもなれる!」を魅せているのが実に美しい。また、メインターゲットたる女児に限りなく近い、「私もプリキュアになりたい!」と言う感情を持つキャラクターとして、小学生のえみるを設定し、そのえみるをプリキュアに変身させる事で、女児達に「私もプリキュアになれる!」と、希望を与えているのも素敵だね。アンドロイドだろうが小学生だろうが男の子だろうが女の子だろうが、絆を信じ、奇跡を信じれば、"なんでもできる"し、"なんでもなれる"。21話でえみるが「プリキュアとして大切なものは何なのでしょうか?」と聞いた時、「信頼関係かな?」とさあやが答えていたけれど、「一人」ではなく、「二人」とか「みんな」と言うのがキーワードだったんだね。まさに「トモダチという奇跡」だね(『トモダチという奇跡』はさあやとほまれのキャラソンだけど…!)。

▼男の子はプリキュアになれるのか?

 この先、『プリキュア』シリーズがどこまで続くかは分からないが、自分は、『ハグプリ』の中で「男の子のプリキュアを出して欲しいと思っている。え?誰が変身するのかって?

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 この二人で「ふたりはプリキュア」になるんだよ!!!!!

 やっぱり一人でなるより二人でならなきゃ!!!絶対なれるよ!!「男の子だってお姫様になれる」んだから!!!!!…うん、今回の記事はこれが言いたかっただけです(!?)。これにて以上でございます。…これ、「男の子はプリキュアなれるのか?」じゃなくて「男の子にプリキュアになって欲しい」って記事だな…!(タイトル詐欺!)最近、ライダーの記事しか書いてなかったし、たまにはね?この記事もガッツリ特撮絡みだけどw

▼余談

──変身すると、はなの前髪は短いままで、ほまれの髪が伸びるのが興味深いです。

座古 その対比は意識しています。はなの前髪は、ほまれに誉められて「イケてる」と思ったから変身後もそのままです。そしてほまれは変身するとスケートに挫折する前のように髪が伸びる。変身後はそれぞれのなりたい姿なんです。

▲『アニメージュ 2018 5月号』より、座古明史のインタビュー。

 つまり何が言いたいのかと言うと、

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 えみるとルールーのなりたい姿(衣装)が「お揃い」なの、目茶苦茶尊いんですよ…!

▼2018.12.03. 追記

アンリ「悲しい時も、迷う時も、皆を励まし、未来へ輝く!そうだ、それがプリキュアだ!キュアアンフィニ、それが僕の名前かな?」

▲『HUGっと!プリキュア』42話「エールの交換!これが私の応援だ!!」より

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 うぅわやったああああああああああああ!!!!!!!!

 やってくれたな『ハグプリ』!!!「ありがとう」…それしか言う言葉がみつからない…!と言う訳で、誕生、キュアアンフィニ。遂に男の子がプリキュアになった訳だけど(キュアゴリラやキュアセバスチャンは正式にプリキュア扱いなの?例外とかじゃなく?)、別に『ハグプリ』では「プリキュアは女の子しかなれない」とは明言していないし、アンリ君自身、男とか女とかそう言う概念に囚われていないキャラクターなので(だからプリキュアに変身できたからって、「男の娘」って言うのも違うんよな)、そう考えるとアンリ君がプリキュアになる事自体はそこまで奇跡っぽくは感じないのだけれど(まぁ、ハリーが「ミライブレスが起こした奇跡や!」と言ってるし、「変身」自体は奇跡そのものなのだが)、男の子が変身する事で「なんでもできる!なんでもなれる!」が視覚的に分かり易いし、説得力が増すのよね。

 『ハグプリ』の「なんでもできる!なんでもなれる!」は個人的に「便利な方便」感が正直否めない。『ハグプリ』の色んな展開は結構「なんでもあり」よね。「奇跡」で何とかなるパターンも多いし。けど、『ハグプリ』はその奇跡が起きるまでの道のりが全うだから、「なんでもあり」感をあまり感じないのが凄い所よね。また、今回のアンリ君はその奇跡に執着せず、自分の力で自分の道をまた切り開こうとしているのが本当に強い。恐らく、キュアアンフィニはもう登場しないのだろうけど、「奇跡(一度きり)の変身」である事にも意味を持たせた『ハグプリ』42話、良かったです。ありがとうございました。

 そう言えば、プリキュアはアンリと正人の二人でなって欲しいって言ったけど…f:id:kro12218116h:20181203204249j:image

 はい満足です。本当にありがとうございました

──正人は、本当に見事なまでにガラリと変わりました。それくらい正人にとってアンリとの出会いが大きかったってことでしょうか。

坪田 正人はもともと、とても真面目な人なんです。だから、アンリとの関係もとっても真面目なんだと思います。それによって悩みも多く抱えそうですけどね。逆にアンリは、正人みたいなタイプは得意だし、第20話のラストで謝ってきた時点で「あ、悪いヤツじゃないな」って感じたんでしょうね。実はアンリは怖がりな性格だから、ふるいにかけるために最初はだいたい否定から入るんですけど、それでも懐に入ってきた人間に対しては凄く優しい。だから正人も大丈夫です。二人はうまくいくはずです。

▲『アニメージュ 1月号増刊 HUGっと!プリキュア増刊号』より、坪田文のインタビュー

 

ではこれにて。