『仮面ライダーアマゾンズ season2』Episode3「PERSONA NON GRATA」感想+考察
▼PERSONA NON GRATA=AMAZON (NEO)?
「PERSONA NON GRATA(ペルソナノングラータ)」とは外交用語であるのだが、その原義(ラテン語)は「厭わしき人物」。今回の『アマゾンズ』の最後のシーンを観るとアマゾンネオは脳味噌を吸われた女性に食欲を感じてしまった事からイユにターゲット(敵のアマゾン)と認識されたから攻撃されたのかな?イユはアマゾンの「人を食べたい」と言う欲望に反応して敵を沈黙させる存在なのか。戦闘シーンでもそうだったが(「邪魔。」「退け。」等)千翼がイユにどれだけ好意を抱こうと、イユは人としての感情を抹消された謂わば人形故、喜怒哀楽を感じず、剰え他人の事を好きになる、なんて事等有り得ない。イユが動く(生きる)理由はアマゾンを倒すと言う目的以外に何も無いのだ。果たして彼女に感情が戻る事はあるのだろうか。
でもって人間にとっての「PERSONA NON GRATA」はアマゾンだね。千翼はアマゾンだがアマゾンを嫌い、「俺は人間だ!」と譲らない。人間とは自身らに被害を及ぼす存在を忌み嫌う生物で、それ故に人食いであるアマゾンは嫌悪の対象になるのである。それでも、嘗てアマゾンの中にも人間と共存していた(出来ていた)イレギュラーな者もいた。
そう、水澤遥だ。彼も千翼と同様、「僕は人間だ!」と自身を人間と言い張り、アマゾンを狩っていた。そんな彼は5年前、トラロックから生き残ったアマゾン達と姿を消した。そして、再び姿を現した遥はイユ(とその家族)と何等かの関係がある模様。遥にも新設定が追加されたか。どんどん謎が増えていくね。まだ『season1』の謎も残っていると言うのに…!
にしても遥、『season2』に入って大衆から「大人っぽくなった」なんてよく言われてたけど、美月と対面した瞬間、いつもの遥に戻ったね…!でもまあ5年ぶりの再会だし、柔らかくなるのも無理は無いけどね。美月も遂に戦いに参戦か…!「戦う選択肢はアリだ」と言う台詞がこう繋がったか。新人なれどもエキスパートな腕を持つらしく。素質があったのかどちゃんこ訓練したのか。何にせよ、遥関連のキーパーソンになるのは間違いなさそうね。
ケンタ君、生きてたァーッ!!しかし、片足を失い、「バイクの免許を取る」と言う夢を絶たれてしまったのか。夢ってのは呪いと同じなんだよ(by宮本武蔵)長瀬くんは流れ的に駆除班(仮)に加入するのかな。ケンタもちょこちょこ出てきて欲しいね。仲間(アマゾン)に体の一部を食われた繋がりで三崎君と何かドラマがあったり…しない?
マモちゃん!生きとったんかワレェ!!彼もまた人間と共に生きていたアマゾンの一人。駆除班の皆には牙を向けるのかな。あまりそんな展開は期待しないけど…。『season2』でこれまで登場していたアマゾンは皆、新種のアマゾンだったから、今までの普通の人工のアマゾンが出てくるのは何気に初かしら?遥は他のアマゾンとは違うし。…ていうかちょっと話変わるけど、「S.H.figuarts モグラアマゾン」が最近発表されたけど、付属品にハンバーガーはちょっと違くない!?完全に人間体のイメージしか無いよ…。…つーか怪人体でハンバーガー持ってたシーンなんか無ェよ…!『season2』でハンバーガーを食べるって言う伏線?いやいやまさかね(←地味に期待している)
ではこれにて。
Vシネマ『ゴーストRE:BIRTH 仮面ライダースペクター』感想+考察
最初に言っておく!自分も書き終わってから気付いたが、この記事は深海マコト/仮面ライダースペクターについては殆ど触れていない!マコトの衝撃の真実とかタケルの結婚フラグとかアカリとイゴールのその後とか御成の探偵物語とか「配達屋、久し振りに見た」とかカノンちゃんの濡れ場とかそう言うのは全く書いていないのでその辺りは予め御了承下さい。じゃあ何について書いたのかって?見ていけば解ります。それではどうぞ。
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▼人間っていいな。
以下、『「仮面ライダー」超解析 平成ライダー新世紀!』より『ゴースト』チーフプロデューサー・高橋一浩の談より引用。
高橋 第1クールは眼魂を集めれば生き返られると信じてそれを集める。第2クール以降は、眼魔の成立ちを描いています。物語で一貫して描いているのは、命は大事、話せば思いは通じる、という普遍的な事です。(中略)「人間は寿命があり、体は脆弱」とアランが言っていますが、それでも「人間は素晴らしい」ということが伝われば幸いです。
「人間は素晴らしい」それがチーフP・高橋一浩の持論である。その思いは『ゴースト』本編にも色濃く出ており、それを思わせる台詞は数知れず。眼魔達は眼魂故、食事や睡眠、運動といった人間がしなくてはならない3原則の行動をせずとも生きていける。その為、彼等はそういった行いをしなければ生活出来ない脆弱な人間の身体を不便と評してきた。それでも、身体は脆弱でも、それでも「人間は素晴らしい」と言う事を伝えようとしてきたのが『ゴースト』と言う作品なのだ。それが顕著なのがアランが「人間の何たるか」を学び変わってゆく謂わば「アラン編」。幾つか例を挙げてみよう。
▼例えば、20話「炸裂!炎の友情!」
タケル「マコト兄ちゃんを苦しめて、それでもお前は友達か!」
アラン「心があるから苦しむ。無い方が幸せというものだ。」
タケル「ふざけるな!心があるから人間なんだ。心があるから通じ合う。だから人間って素晴らしいんだ!」
▼例えば、23話「入魂!デッカい眼魂!」
アラン「貴様に、そして兄上にも裏切られた私を笑いに来たのか?」
マコト「お前が俺達を助けてくれた。今度は、俺がお前を助ける番だ。そろそろ、これが必要なんじゃないか?」
アラン「誰が施しなど…!」
マコト「無理するな。生身の体だ。」
アラン「はあ…。こんな不便なものが、お前達が望むものなのか?」
マコト「今に、お前にもわかる。」
マコト「大丈夫か!?」
アラン「礼は言わないぞ。私は誰の助けもいらない。」
マコト「アラン!例えお前が何も信じられなくても、俺はお前を信じてる。」
カノン 「アラン様。」
アラン 「いたのか。」
カノン 「アラン様が、此処に来るんじゃないかと思って。」
フミ 「なんだ、やっぱりデートだったのかい。」
アラン 「デートとは何だ?」
カノン 「フミ婆、そんなんじゃなくて…。」
フミ 「ハハハ、照れるな照れるな。一緒にいて楽しいんだろ?ん?ホッとするんだろ?」
アラン 「私を愚弄する気か?」
フミ 「ホホホ…相変わらず面白いねえ。自分の心に正直になりなよ。」
アラン 「心…。」
(アドニス)「迷った時は、自分の心に従え。」
アラン 「心など不要のはず…。」
フミ 「ほら、たこ焼き食べなよ。」
アラン 「たこ焼き…!」
▼例えば、27話「決死!覚悟の潜入!」
アラン 「父上、教えてください。この世界は人が死なず争いもなく完璧に調和が取れた世界のはず。しかし先ほど、民が消えるのをこの目で見ました。人が死に、そして争いが起きています。私は今まで何の為に…。」
タケル 「アラン…。」
アラン 「父上は私に言いました。」
(アドニス)「アラン。迷った時は、自分の心に従え。」
アラン 「あれは一体どういう意味なんです?父上。」
タケル 「とにかく此処から逃げよう。」
アラン 「タケル、さっきはお前を一人にして…」
タケル 「良かったね。お父さんに会えて。」
アドニス「アラン。良き友を得たな。」
アラン 「え?」
▼例えば、29話「再臨!脱出王の試練!」
アラン「信じるものを全て失った。私はこれまで一体何の為に…。」
フミ 「心が迷子になってるみたいだね。青春だね。それが、人間ってもんだよ。私も若い頃は、散々悩んだもんだ。だから今は、自分の心が何をしたいかわかるのさ。私の心は、こいつを焼いて、あんたに食べさせたいって、叫んでるのさ。」
アラン「私の心は、何をしたがっているんだ?」
(中略)
アラン「私の心は死んでしまったのだろうか?」
フミ 「そんなに難しく考えるもんじゃないよ。若い頃はどうしても、心と上手く付き合えないもんさ。」
アラン「しかし…。」
フミ 「昔、絵描きを、目指してたのさ。でも諦めた。苦しくて苦しくて、心が迷い、死んじまったみたいになった。だけど今は、たこ焼きで皆を笑顔にできる。幸せさね。心は死なないんだよ。」
アラン「フミ婆…。」
フミ 「そうだ。久しぶりに絵を、描いてみたくなったよ。宝物を沢山ね。どうだい?」
アラン「空が…青い。宝物か…。そうだな。」
フミ 「焦らなくていいんだよ。いつか、心の声は聞こえるさ。そしたら、心のままにやってごらんよ。」
▼そして、30話「永遠!心の叫び!」
皆大好き、30話。アランはフミ婆の死を知り、哀しむ。人が死ぬと言う事は哀しい事である。"心"を手に入れたアランはその事実に酷く苦しめられるのだ。
女性「ねえ、フミ婆本当に亡くなっちゃったの?」
男性「フミ婆亡くなったんだって!?突然過ぎるよ…!」
アラン「…!」
(中略)
アラン「なんなんだ?この感情は…。心があるからこんな気持ちになるのなら、心なんていらない…。」
しかし、フミ婆の告別式に訪れている人々は様々な感情(表情)を見せていた。泣いている者もいれば、なんと笑っている者もいたのだ。
アラン(泣いている人間もいる。笑っている人間もいる。なんだ?これは。)
タケル「アランもお別れを言ってあげて。きっとフミ婆も喜ぶから。」
アラン「人間は死んだら終わりだ。」
タケル「そんなことない。フミ婆は…フミ婆の思いは、みんなの心の中で生き続けるんだ。きっとアランの心にも…。」
アランは覚えている。フミ婆(やアドニス)から教わった事を。それは、今はこの世にいなくとも、アランの"心"の中では確りとフミ婆が生き続けている証拠だ。そして、フミ婆と関わってきた多くの人々の"心"の中にも。だからタケルやカノンは恰もフミ婆が生きているかのように、「喜ぶ」や「悲しむ」と言った言葉を使うのだ。『スペクター』でもシンスペスターVSエヴォリュードのシーンでマコト/シンスペスターが「俺には、三人の父さんが"いる"!」と言うのだけれど、彼が「俺には、三人の父さんが"いた"!」と過去形にしなかったのは、マコトの"心"の中にその三人の父さんが今も生き続けている、即ち、マコトが"心"の無い人形ではなく"心"がある"人間"である何よりの証拠なのだ。魂は永遠に不滅だ!
カノン「明日、敵の潜伏先に乗り込みます。アラン様も手伝ってもらえますか。」
アラン「私は自分がどうしたいのかもわからない。」
マコト「答えはお前の心の中にあるはずだ。」
タケル「自分の心にとことん向き合えば、答えは出る筈だよ。」
(フミ婆から貰った服を渡すカノン)
カノン「アラン様がそんなんじゃ、フミ婆が悲しみますよ。」
こうして、人間とは、"心"とは何なのかを学んだその先に、アランは一つの結論を提示する。それは…
アラン「あぁ、そうだな。人間も悪くない。」
"心"等不要、人々が死なず、争いの無い完璧な世界こそ真の平和、そう思っていたアランが様々な"人間"と触れ合い、「人間の何たるか」そして「人間の素晴らしさ」を学んでいく。生身の身体を手に入れたアランは同時に"心"と言う存在も持ち合わせる事となる。心があるから人は喜び、怒り、哀しみ、楽しむ。様々な感情が交差しながらも、それがあるから人間なのだ。"心"とは人間の中心角にあるもの、心髄なのだ。
因みに、「葬式(哀しむべき場)で笑っている人間がいてハテナが浮かんだ」と言うエピソードはチーフP・高橋一浩が実際に経験した事なのだそう。以下も『「仮面ライダー 超解析」平成ライダー新世紀!』より。
――個人的に特に印象に残っている回があればぜひ、その理由とともにお答えください。
高橋 このシリーズでどうしても描きたかったのが、ヒーローではなく普通の人の普通の「死」です。平成ライダー初期と違い、昨今の仮面ライダーでは人の死が描きづらくなっています。もちろん子どもへの影響を考えてのことですが、本作では怪人に命を奪われるわけではなく、何かの犠牲になるのでもなく、「人は死ぬ」という当たり前のことを描きたいと思っていました。それが29・ 30話です。これまで生まれ育った環境/世界、そして父の思想こそが理想だと信じて疑わなかった不死の存在であるアランが、アドニス、そしてフミバアの死を経て心の痛さに苦しみます。人の死は誰もが経験することで悲しい出来事です。しかし、フミバアの生き様は思い出となって心に残り、生きて記憶がなくなるわけではありません。死は命の終わりかもしれません。ただし無になるわけではない。それをアランに知ってもらいたくてフミの告別式を描きました。アランが劇中のモノローグで言っているように、私も子どもの頃は葬式が好きではありませんでした。悲しくて泣いているのに笑っている人がいる。なんて不謹慎なんだろうと。でも、そうじゃないんですよね。多くの人が集まり、故人の思い出を語る。それをなんて素敵なことなんだろうと思ったのは大人になってからです。フミバアのために性別や年齢も様々な多くの人が集まり、故人を語る。涙する人もいれば笑顔の人もいる。それだけ多くの人に影響を与え、思い出になって残る。亡くなってもなお、みんなの心にフミバアがいるということをアランに知ってほしかった。アランが父とフミ、そして生きている人の想いを胸に立ち上がる、というのは最初から描きたかったことです。
そして『スペクター』のラストシーンでは「人間の素晴らしさ」を知ったアランが眼魔世界の人間達へ向けて演説をするのだが、なんとその演説の言葉は(『スペクター』を執筆した福田卓郎氏の協力があったとは言え)アランを演じる磯村勇斗自身が考えたと言うのだから驚きだ。彼もまた、アランを通して、高橋Pが伝えたかった「人間の素晴らしさ」を感じ取れた(感化された)人の一人なのだろう。しかも確りと肌で。
アラン「私は青い空を愛している。漸く、この世界でも青い空を見ることが出来た。どんなに今日と言う日を待ち望んだ事か。今でも、初めて青い空を見たときの衝撃は忘れない。それほど美しかった。皆には苦労をかけた。多くの命も失った。だが今、青空の元に立てた事は、此処にいる皆や、地球で出会った仲間達のお蔭だ。私は、皆と共に青い空を見れて幸せと感じている。そう思うことが出来たのも、色のある美しい世界に触れ、人間の素晴らしさを教えて貰ったからだ。其処で生きる人間は、命と心を大事にし、人が笑顔に溢れていた。初めは私には理解出来なかった。だが、「死」と言うものに触れ、命の儚さを知った。人間は、命が有る限り今を一生懸命生き、失った人の思いは、私達の心の中で生き続ける。私達は心があるから苦しみ、心があるから笑顔になれる。それが人間ではないか!そして、今の私があるのは、何時も私の傍で支えてくれた、一人の友が始まりだった。私は其処で初めて、友の本当の意味を知りました。私達は助け合い、お互いを信じてきた。どんなに心の支えになった事か。拳でぶつかっても良い。迷ったって良い。どんな事があろうと友である事は永遠に変わらない。だから、皆も私の友として、一緒に支えあってはくれないだろうか。今日から私は大帝の息子ではなく、一人の人間として皆と共に生きていく。私達は繋がっている。この青空こそ、私達にとって新しい世界の始まりであり、希望である。これから皆で美しい宝物を築いていこうではないか。我が友よ!」
人間とは不便な生き物かも知れない。何時かは死に、今も争いは絶えない。それは悲しく、それにより、人は時に苦しみを味わう事もある。それでも、我々が笑顔でいられるのは、人間には"心"があるからである。互いが互いを支え合い、共に世界を築いていく。人間の無限の可能性は、"心"があるからこそ真に成り立つ物なのだ。アランは『ゴースト』本編を通してそれを学び、『スペクター』の演説、そして、眼魔世界に広がる青い空に繋がったと思うと涙が出るね。『スペクター』、アランの成長の末を魅せてくれたと言う事で、自分はこの作品を高く評価したいと思います。
ではこれにて。
『仮面ライダーエグゼイド』27話「勝者に捧ぐlove&peace!」感想+考察
▼本音で語ろうや
『ときめきクライシス』登場以降、恋愛ゲーム要素強めの『エグゼイド』。今回は大我とニコのコンビに焦点が当てられた。なんか飛彩は少女漫画に於ける恋に悩める主人公のサポートポジって感じね(笑)自分の推しが飛彩なのも多少はあるだろうけど、今回は大我先生夢女子が言われたい台詞も勿論だけどそれよりも飛彩と大我の掛け合いの方にグッと来た。
飛彩「彼女のゲーム病は此方で治療する。」
大我「無駄だ!治したって、アイツがまた『仮面ライダークロニクル』をプレイすれば、再発するだけだ。」
飛彩「何故彼女をちゃんと見てなかった?」
大我「お前には関係無ぇだろ…。」
飛彩「愛想を尽かされて当然だな。彼女の意思を蔑ろにして、本音で向き合おうとしない。そんな態度では…。」
大我「五月蝿ぇ…。」
飛彩は過去に自身の彼女・早姫にしてやれなかった事と今回の大我とを照らし合わせて、彼を叱責する。この台詞は飛彩が言うと少しクるものがあるね。こう言う設定って話が進んでいくにつれて視聴者が段々と忘れていきそうなやつなんだけど、飛彩の過去の場合、ちょこちょこその話を本編に確り入れ込んでくるから「そんな設定もあったな。」なんて言う人少ないんじゃない?グラファイトも復活したし、今後もまたこの過去に関わる何かが起きそうね。どうでもいいけど飛彩関連の何かがある時に流れる「テレレレレレン♪テテテテンテン♪」ってBGMが凄い好きです。良い…良くない?
このシーンのブレイブの情けない声から如何に彼が女性に慣れていないか(早姫との付き合いが薄かったか)が見えてきて心が痛い。
ていうか上の「彼氏がゲームオーバーになって~」の件(くだり)もそうだけど、今回、飛彩のトラウマをかなり抉ってきてたな!?何と言うか、今週は飛彩に対して鬼畜な回だったね。
そして…
大我「別に好かれたくて戦ってる訳じゃない。人には其々未来がある。だから、失うものがない俺だけが戦えば良い、どんなに苦しくても、誰に恨まれようとも、俺だけなら、って。けどお前は、免許の無いこんな俺を主治医だと言ってくれた。嬉しかった。ゲームが出来なきゃストレスだってならもう止めはしねぇよ。但し、俺の傍から離れるな。(中略)お前は俺の患者だ。何度ゲーム病になろうが、この俺が直してやる。」
テレビの前には貴方を主治医と言う女子が相当数おりますぞ!
遂に本音をニコにぶつけた大我。今まで一人きりだった大我には、ニコと言う存在は掛け替えのない(失いたくない)大切な存在。26話で大我が「『仮面ライダークロニクル』は俺が攻略する。」と言っていたのに対し、今回は「『仮面ライダークロニクル』は俺"達"が攻略する。」と言ったのが感涙ポイントだね。最近、俺"達"と言う言葉をよく使うようになって、大我にも仲間意識が戻ってきたのかな、と思うと感慨深いものがある。キメワザ、バンバンクリティカルファイヤーの時のカットでスナイプとニコを映していたのも良かったね。どうでもいいけど大我の格好いい台詞の時に流れたBGM、通称(?)「貴利矢が死ぬときのBGM」も好きです。
うぅ…、『裏技 仮面ライダースナイプ エピソードZERO』が観たいぃ…!『アラン英雄伝』も大概だったけど、今年のも凄ェ観た過ぎて泣いてる。そういや、遂にTTFC(東映特撮ファンクラブ)に加入したので、暇が出来たら『仮面ライダーブレイブ』の感想も書きたいと思っています。『仮面ライダーゲンム』は近々観るので、観たら『ゲンム』感想記事に追記しておきます。
ではこれにて。
『仮面ライダーアマゾンズ season2』Episode2「ORPHANS」感想+考察
▼ORPHANS=AMAZONS
「ORPHAN」は「孤児」を意味する単語である。『season2』の新メインキャラクターたる千翼とイユはどちらも親がおらず、二人共4Cの施設で育ったのか。…育ったという表現は千翼は兎も角、イユは間違いか。イユは要するに『season1』でいうアマゾンシグマのそれと同じ技術で復活したのね。そしてその後、4Cの戦力となったと。前原君に駆除班にいた頃の記憶が残っていたように、イユも一応、生前の記憶は残っている模様。千翼を切っ掛けに記憶を交えながら徐々に様々な感情を取り戻していく流れになるのかな。…まあその記憶は壮絶なものだったけど。
チームXの一人がアマゾン化。てっきり長瀬君以外の二人は今回で死ぬと思っていただけに一人が生き残ったのが意外だった。次回で死にそうだけど。なんか愛嬌のあるチームだったよね。クソガキクソガキ言われるけどなんやかんや自分は好きでした。終盤まで残ってて欲しかったな。
で、人をアマゾン化させる水、「アロマオゾン」はちょっと「アマゾン」と似てる。狙ったのか偶然なのか。何にせよ、『season1』では4000匹だったアマゾンが今は万単位と来たもんだ…!またトラロックのようなアマゾン大量駆除兵器とか出てきそうね。
なんか『アマゾンズ』の感想だけ適当ですんません…!近々、『エグゼイド』や他の様々な作品も交えて記事を書くつもりなので、楽しみに御待ちして頂けると幸いです。今月中に書けるかどうかは微妙ですしそもそもあくまで"予定"なので書くかどうかすら微妙です(ヲイ)
最後に2話のネタバレ画像貼っときます。
ではこれにて。
『仮面ライダーエグゼイド』26話「生存を懸けたprayers」感想+考察
▼頑張って!仮面ライダー!
こんな感じの展開…、あると思います!!
ゼロデイや消滅についてが遂に本格的に世間に公表された。13話冒頭の日向審議官の会見でエグゼイドとブレイブの姿を一般人に見せ、仮面ライダーの存在を公表していたが、此処から市民達の仮面ライダーへの見方が変わってくるのかな(ていうかライドプレイヤーは仮面ライダーが何なのかを知っていて攻撃したのかよ…!)テンマを始め、最初は人々に信用されていなかった仮面ライダーが終盤では敵に苦戦してピンチな仮面ライダーを応援する市民達の声で復活&パワーアップ!みたいな展開ももしかすればあるのかも知れない。
▼私、『ドレミファビート』のバグスターなの!
これに関して永夢達はポッピー誕生の経緯(『ドレミファビート』のゲーム病感染者)については何も考えなかったのかな?地味に此処は自分の中で引っ掛かってる部分の一つ。視聴者の大半は引っ掛かってただろうけど。彼女以外に(真に)善良なバグスターとして『ジュージューバーガー』のバガモンがいたが、結局、それも小星作に"感染"していたウイルスである。まあ『ジュージューバーガー』の場合、クリア条件が「バガモンを笑顔にする事」だったが故に作のゲーム病を治してもバガモンは消えなかったが(よくよく聞くとよう解らん理論だがな…!)『ドレミファビート』は音ゲー故、ポッピーが「敵キャラ」と言うのもちょっと可笑しな話にもなりそうだったから「別に感染者は消えてないのかな」みたいな感じでスルーされてたのかな?まあポッピーがバグスターと判明したのは12話(バガモン登場前)だが。
ライダーガシャットの少し戴けない点は其々のゲームがどういうゲームかが今一解らない所。何となくの説明は入るものの(『マイティアクションX』なら主人公のマイティはお菓子を食べるとパワーアップする等)それがあっさりとし過ぎて「それだけ?」となっちゃうのが若干嫌な感じ。『ドレミファビート』なんか「音楽に乗せてリズムを刻むゲーム」と言う音ゲーの当たり前のルールしか言われなかったからな…!いや、一々細かいゲームシステムとか説明してたら話が進まなくなるし、「音ゲー」と言う言葉をチビッ子達が知っているとは限らないからこう言う説明でも駄目ではないんだけれど、例えば「フルコンボすれば敵キャラのポッピーピポパポを倒せてゲームクリア出来る」ぐらいの解説もあれば良かったのかな、と思わなくもない。ポッピーは敵キャラなのか単なるナビゲーターなのかゲーム内のアイドルなのか、『ドレミファビート』内での彼女の役割が解らないのが難点と思われる。ゲームに登場するキャラクターと言うのは、決して「主人公」と「敵キャラ」だけではないのだ。
そんなポッピーは今回、仮面ライダーポッピーへと変身。『仮面ライダークロニクル』のナビゲーターと共に審判も担当している模様。キュートな声や仕草でチェーンソーを振り回すポッピーは恐ろしいね。ポッピーは黎斗がCRに送り込んだ刺客だったのか。しかし、ポッピーはその記憶(セーブデータ)が無かったからCRではゲンム側のバグスターとは無縁の存在でいられたと。『エグゼイド評』にて「本当は悪者でした!」オチはやめてほしいと書いたけれど、成程、ポッピーにはその自覚が無かったのか。黎斗の策士なやり口に永夢達も視聴者も騙されていた訳だね。貴利矢よろしく、黎斗も死んでも尚、存在感を魅せてくるね…!
▼あんたらが作っておいてからに
大我 「こんなふざけたゲームに何の意味があるんだ。」
パラド「全部、お前達人間が望んだことだろ。娯楽の為にゲームが生まれて、人間のストレス発散の為に、敵キャラと言う存在が生まれた。つまり、バグスターが人間の命を脅かすのは、お前達、人間がそうさせたからだ。でも俺達は、人間共の駒なんかじゃない。バグスターだってこの世界に生まれた命だ。これは御互いの生存を懸けたゲームなんだよ。」
人間によって生まれ、人間に倒される事を定められたキャラクター達。それが敵キャラたるバグスターの悲しい運命(さだめ)。「人工生命体」と言う怪人の設定はありがちのようで実は初出は『ドライブ』のロイミュードからであり、割と最近考案されたもの。先日、season2が始まった『アマゾンズ』のアマゾンもまた人工生命体だが、例え人間がそれらを作ったとしても、それらが一度(ひとたび)人類に被害を及ぼせば人間達は何の躊躇も無く、地球上からそれらの除去を試みるのだ。『仮面ライダー』では「親殺し」がよく描かれるが、『エグゼイド』『アマゾンズ』『ドライブ』はそれを怪人が行っているのだ。そりゃあ自分達を殺そうとする者が現れたらそれに対抗するのは当然だよね。果たして『エグゼイド』はそこにどんな答えを提示するかな。
ではこれにて。
『仮面ライダーアマゾンズ season2』Episode1「NEO」感想+考察
『アマゾンズ』の感想もやろうかな。全話書くかどうかは分からない。「TV放送待ってるから!」って人は見ない方が良いかも知れないし別に見ても良いかも知れない。何にせよ、ネタバレは満載です。それではどうぞ。
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▼巨匠!生きとったんかワレェ!!
『クウガ』から必ず1話は平成ライダー作品に参加していた巨匠こと石田秀範監督だが、『ゴースト』以降、ニチアサにその姿を見せていなかった。
まあ『ゴースト』関連では巨匠はこんなのとかは撮ってるんだけどね。巨匠がニチアサ関連で一番最後に撮ったのは確か『マッハ/ハート』かな?兎に角、これらはあくまで円盤やネットムービーなので、日曜朝8時半に彼の撮る映像は暫く拝めていない。『エグゼイド』なんかまだ全く撮ってないしね。要するに、現在の巨匠はニチアサ以外での仕事が多いのだ。その一つが『アマゾンズ』である。『season1』に続き、『season2』もパイロットを勤めているけど、
出た~!巨匠特有の謎空間~!w 巨匠のWikipediaに「非常にエキセントリックで独創的な演出(極端に画面の色を変えたり、それまで流れていたBGMやSEが突然消えたり、シリアスな話の最中に登場人物の頭上へ突如スポットライトが降りてきたり、等)を好んで行う事で知られる。」って書いてあって不覚にも笑ってしまった。巨匠の撮り方の不思議さは今も健在で謎の一安心。
↑地味に好きな巨匠空間
でもって、上の画像(『アマゾンズ』の方ね)についてだけど、後ろから千翼を抱き締めていた謎の女性、あの人だよなぁ…?既に色んな所で言われてるけど、千翼の両親はあの二人でほぼほぼ確定かな。仁さん、「『season2』は出ない」って言われてたのに結局出てきたね。白倉Pが予定をねじ曲げたのか、本当に靖子にゃんが酔った勢いで言っただけなのか、何れにせよ、仁さんが出なかったら『season2』はファンからボコボコに叩かれてただろうし、まだまだ本編で料理出来るキャラではあったから良かったのかもね。
チームX(キス)は思ったより結構良い人の集まりだったね。まあ次回で早くも崩壊しそうだけど。『season1』の2話でも駆除班から二人が退場している。一人(大滝)が実はアマゾンでもう一人(前原)を食らい、その後、アマゾンオメガに自身もやられる、と言う流れだったけど、チームXのそれも似た流れになりそうね(チームの一人が感染?)偶然なのか意図的なのか。以外と好感が持てた集団だっただけに早めの退場は若干残念。長瀬君は割と長く生き残りそうだけど。
取り敢えず、今回の1話は説明会か。次回から本番を出してくるのかな。まだ色々良く解らん、って感じだけどそう言う作り方に出来たのは『season1』が多くの視聴者から評価されてる上、更に配信番組だからこそなんだろうね。『season1』では幾つかの謎を残しつつ、確りと『season2』にも旧キャラを出演させる事を公表している(でもって次回予告には遥を出している)から、視聴者が1話で面白いと感じようが今一と感じようが、先ずは2話までは大半のファンが視聴するように制作側が仕込んでるのが悔しくも上手い所。
まあ次回が楽しみになるような終わり方はしたんじゃないかな。約1年待った『アマゾンズ season2』白倉Pは「こんなに面白くなるとは思わなかった」なんて言ってたけど(ほんとこの人は自分からハードルを上げていくな…!)果たしてどのくらい面白くなっているのか、観ていくとしますか。
ちょっと短いけど今日はここまで。
ではこれにて。
『仮面ライダーエグゼイド』25話「New game起動!」感想+考察
▼"君も変身出来る!"系ライダー作品
▼例えば『ゴースト』
「人間の可能性は無限大だ!」幾度その言葉を耳にしたことか。実はこの「人間の無限の可能性」というワードは序盤である2話から既に使われており、これほどか、と言うまでに『ゴースト』はこの教訓を推してきていた(ムゲン魂登場からそれが増えてきたが)そして、タケルは49話にて、それを体現する事となる。
一同「タケル(君(殿))は、俺(僕(私(拙僧)))にとって、"英雄"だ(です(よ))!!」
タケルは自身が憧れた命を燃やし続けた偉人達のような"英雄"になった。と言うより「誰かにとっての"英雄"」かな。タケルにとっての"英雄"が父親である天空寺龍であるように、タケルはアカリや御成、マコトやアランといった仲間達にとっての"英雄"になったのだ。ここで『ゴースト』が視聴者(子供達)に伝えたメッセージは「誰もが"英雄"になれる」という事だ。タケルは所謂その辺の兄ちゃん系の主人公だが、そんなタケルが他人の為に戦い、仲間達に"英雄"と認められるシーンは「どんな人でも"英雄"になれる」と言うメッセージに説得力を乗せる事が出来る。「君も"英雄"に変身出来る!」そしてそんな『ゴースト』の最終回はまさかのまさかで第3の壁を通り越して視聴者(子供達)にメッセージを送るのだ。
タケル「未来はどうなるか決まっていない。思いが未来を作る。だから、今度は君だ!君の思いを未来へ繋げ!」
タケルは自身が一年間(劇中では半年)でやり遂げた事を「今度は視聴者(子供達)の番だ。君たちにも出来る!」と伝え、幕を閉じる。つまり、「人間の無限の可能性を信じろ!」ってことさね。『ゴースト』は何と言うか視聴者向けの作品だったね。いや、視聴者に向けない番組って何?って感じだけどね。自分の語彙力を許してくれ…!
▼例えば、『響鬼』
「そっちかよ!?」って思った?w『響鬼』は超(ハイパー)バトルDVD『明日夢変身!君も鬼になれる』で「鍛えれば(8つの鬼の心得を学べば)君も鬼になれる!」と言う話をやったことがある。それを習得した時、明日夢は鬼(響鬼)に変身するのだ。懐かしいね。こんなのもあったなぁ。
▼"お前は変身するな"系ライダー作品
▼例えば、『ウィザード』
仮面ライダーウィザード/操真晴人は魔法使いである。『ウィザード』2、3話「魔法使いになりたい」「変身!生中継」のゲートはチンプイこと奈良瞬平。彼は小さい頃、魔法使いになる事が夢で、大人になり、それを諦めていた頃、自分を襲ってくるファントムから助けてくれる魔法使いが現れ、魔法使いは本当に存在すると確信し、瞬平は晴人に弟子入りを志願するも晴人はそれを断る。「魔法使いは俺一人で十分だ。」と。
瞬平「僕、小さい時に、魔法使いになるのが夢だったんです。」
晴人「夢?」
瞬平「はい。大好きだった絵本に出てくる魔法使いが、「チチンプイプイ!」って唱えると、色んな魔法が使えちゃうんです。それ見て僕、ずーっと憧れていたんです。魔法で皆を助けられたら絶対に楽しいって。大きくなって、そんなの無理だって、魔法なんて無いんだって思って諦めてたんですけど、でも今日解ったんです!やっぱり魔法はあったんだ、魔法使いはいたんだって!だから!」
晴人「別に楽しいだけじゃないさ。魔法使いなんて俺一人で十分だ。」
瞬平「え?」
晴人「話だけは聞いた。夢は夢のままにしときな。」
一方その頃、大門凛子は晴人を尋ねるべく面影堂を訪れていた。しかしファントム退治に出掛けており、晴人はいなかった。この頃のコヨミはまだ凛子に心を開いていない為、警戒した様子である。凛子はふと、「魔法使いだったら良かったのに」と口にし、コヨミは怒りを見せる。
凛子 「今日、彼は?」
コヨミ「いない。」
凛子 「またファントム退治?」
コヨミ「そうだけど。」
凛子 「そっかぁ…。何だか羨ましい。あ~あ、私も魔法使いだったら良かったのに。」
コヨミ「それ、晴人の前で言わないでね。」
(中略)
コヨミ「私と晴人はゲートだったの。何者かに誘拐された私たちは半年前、あの日蝕の日、ファントムを生み出す為の儀式に使われたの。沢山の人々が強制的に絶望されられて、ファントムを生み出して死んだの。でも、晴人だけは自分のファントムを体の中に押さえ込むことが出来た。生き残ったのは、私と晴人だけ。私は記憶を失い、晴人は魔法使いになった。人々がファントムの犠牲になるのを二度と見たくないから、晴人は自分の命を懸けて戦う事を決めたの。だから、魔法使いだったら良かったなんて簡単に言わないで!」
▼例えば、『龍騎』
秋山蓮/仮面ライダーナイトは自分が変身する所を子供に目撃されてしまい、子供(伊藤拓也)はそれに惚れ込み、「俺も仮面ライダー(ヒーロー)になりたい!」と、蓮に着いていく、と言う展開のお話がある。27話「13号ライダー」だね。
拓也「ていうか、あんたほんとにライダー?」
信司「まあね。」
拓也「証拠は?」
信司「ん?証拠?ほれ。」
(カードデッキを見せる信司)
信司「ふふん。」
拓也「なんか弱そう。まあいいや、どうやってライダーになれるか、教えてよ。」
信司「子供には無理だよ。」
拓也「やってみなきゃ解んないじゃん!」
信司「なんでライダーになりたいんだよ?」
拓也「モンスターと戦うんだろ?格好いいじゃん!俺、アクションゲーム得意なんだ。」
蓮はそんな拓也の目の前(ミラーワールドだけど)で自分が怪人(ミラーモンスター)と戦う姿を見せる。しかし、ナイトはそのミラーモンスターに苦戦してしまう。…と言うのは演技で、実際はわざとやられることで、拓也に「別に仮面ライダーはかっこよくもなんともない」と言う事を見せていたのだ。「ほ~らよく見ろ、ライダーなんてちっともかっこよくなんかないだろ?」と信司に言われ、少し不満げな拓也。すると…
そこにゾルダや王蛇といった他の仮面ライダーも参戦し、戦いは次第にエスカレートしていく。そして、それを見ている拓也はその光景に怖れを示すのだ。仮面ライダーとは、戦いとは、決して格好いいだけの存在ではないのだ。
拓也「なんだよこれ…。」
(逃げようとする拓也を止める信司)
信司「見ろ。これが、これがライダーの戦いなんだ。面白くなんかない。痛くて、苦しくて、それでもゲームみたいにスイッチを切れない。ずっと戦うしかないんだ。」
吾郎「俺…、先生が戦ってるところ…、初めて見ました…。うぅ…。」
拓也「俺…。」
信司「デッキ、返してくれるかな。俺も行かなきゃ。」
(デッキを返す拓也)
信司「お前は、絶体誰とも戦ったりすんなよ。」
拓也「ごめんなさい!」
(走り去っていく拓也)
「悪いやつと戦い、皆を救う正義のヒーロー」、それに憧れる子供達の心を裏切ったのが『龍騎』27話である。仮面ライダー達は、仮面ライダーに変身する人間達は、自分の命を懸けて、同じ人間と戦っているのだ。そこに拓也は恐怖を示し、吾郎はそんな戦いに自身の慕う先生が参しているのを目の当たりにし、涙を流す。戦うと言う事は恐ろしい事なのだ。
つまり、これらの作品は子供達の夢である「ヒーローになって戦いたい」と言う夢を否定したのだ。
そして『エグゼイド』もそんなライダー作品の一つである。16話「打倒Mのparadox」では天才ゲーマーたる永夢をぶっ倒し、黒歴史を塗り替える為に、ニコは大我のゲーマドライバーとガシャットを使って仮面ライダーに変身しようと目論む。しかし、それに憤怒する大我はニコを叱責する。「このゲームは遊びではない。」と。
ニコ「ねぇ、どうやったらゲーマドライバーで変身出来るようになるの?」
大我「あ?」
ニコ「私、仮面ライダーになって、永夢をぶっ倒したい!」
大我「変身だと?自分が何言ってるのか解ってんのか!」
(ニコからゲーマドライバーを取り返す大我)
大我「そんな馬鹿な事考えてるからゲーム病になったんだろうが!これは只のゲームじゃない。俺たちは遊びでやってるんじゃねぇんだよ!俺もアイツも、一つしかない命張って必至に戦ってんだ。変身したいなんて二度と口にするな。」
『エグゼイド』の大我は『龍騎』と『ウィザード』の境遇を足して2で割ったような感じのキャラクターだね。『龍騎』のような命懸けのゲームをするのは自分一人だけで良い。それで『ウィザード』のファントム生成のように他人が傷つくなら。
New game『仮面ライダークロニクル』は一般人が仮面ライダーに変身し、現実の世界でモンスターと戦う命懸けのサバイバルゲーム。箱には「CERO A」と対象年齢が書いてあるのが地味に芸コマ(ゲームオーバーになれば死ぬゲームが全年齢対象ってお前…!)『仮面ライダークロニクル』にはこれまでに登場した10種類のゲームの其々のボスキャラが参戦している。成程、任天堂のオールスター大戦ゲームが『大乱闘スマッシュブラザーズ』なら『仮面ライダークロニクル』は幻夢コーポレーションから発売されたゲームのオールスター大戦ゲームなのか。ライドプレイヤー(一般人)が『マイティアクションX』のボスキャラであるソルティを認知していたシーンは『エグゼイド』世界では幻夢コーポレーションのゲームが世の中に浸透していると言う設定を再提示している。要は『スーパーマリオブラザーズ』に於けるボスキャラのクッパを誰もが知っているのと同じである。
そして、今回から新しくなったop映像からも確認出来るが、全ての人間が仮面ライダーに変身出来ると言う事は即ち、
そう、ニコも仮面ライダーに変身出来る(出来てしまう)と言う事だ。これは中々ショッキングな展開だね。視聴者にとっても、大我にとっても。常に大我は「仮面ライダーは俺一人で十分だ。」と言ってきたのに、始動したゲームは全人類が仮面ライダーに変身してしまうゲームと言うのだからかなり辛い。大我はこのゲームに、そしてニコが変身する展開にどう向き合っていくか、ここが『エグゼイド』のキーになってくる気がする。
▼人間>バグスター or バグスター>人間
パラド「どうだ永夢、こんなエキサイティングなゲーム、他に無いだろ?」
永夢 「酷い…。なんでこんな事を…。」
パラド「許せないんだよ。この世界で一番偉いと思い込んでいる人間共がな。」
成程、何処と無く『アマゾンズ』的サムシングを感じるね。現状、この世界で一番上のカーストに立っている生物は人間で、それらに反逆を起こそう、と言うのがパラドの思惑。バグスターとはゲームキャラで、パラド達は敵キャラとしてゲーム内の主人公に倒される為に作られた存在。故にそれが許せないパラドは自分達が攻略される側だったのに対し、今度はバグスターが人間を攻略する(し返す)べく、黎斗から『仮面ライダークロニクル』を奪った、と。『アマゾンズ』のアマゾン達は人間によって作られたが、その者共が人間を襲えば自分達を作った人間に駆除される、と言う境遇だけど、『エグゼイド』のバグスター達もそれと似た何かを感じる。要するにあれか。「なんでアマゾンは人間喰っちゃいけないの?」と言うようにバグスターとしては「なんで人間殺しちゃいけないの?」みたいな感じなのかな。何故なら、それまでの人間達は常に自分達よりもカーストが低い生き物達を殺してきたから。パラド的には子供が蟻を踏み潰して喜んでるのと同じ様な感覚なんだろうね。このシーンは地味に人間の残虐さも暗に見せていたのか。
さて、第3章「仮面ライダークロニクル編」に突入し、益々ダークな雰囲気を魅せてきた『エグゼイド』。ゲームを使って人類を滅亡させるのがバグスター側の計画なら、例えばプレイヤー消滅の目撃情報を流通したり、最近のエグゼイドならリプログラミングと言うチートが使えるので割と色んな形で対処出来そう感じなんだけど、このゲームをどうやって食い止めるか、楽しみにするとしますか。
ではこれにて。