レイジング野郎

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『仮面ライダージオウ』13、14話(ゴースト編)(+『小説 ゴースト』)感想+考察

 『仮面ライダージオウ』13、14話「ゴースト編」の感想です。

・13話「ゴーストハンター2018」

・14話「GO!GO!ゴースト2015」

 また、本記事では今までずっと投稿出来ていなかった『小説 仮面ライダーゴースト ~未来への記憶~』の感想も抱き合せにしていますので、未読の方は閲覧注意。それではどうぞ。

▼本編でやれ!!!

 『小説 ゴースト』は大衆からそんな感想をよく耳(目)にする(後は『スペクター』とかも)。「何故そう言われる(言われてしまう)のか?」のアンサーの殆どは「『小説 ゴースト』に『ゴースト』の全ての設定が書き連ねられているから」である。なんだけど…、チーフP高橋一浩が「設定に拘る」スタンスでありながらも『ゴースト』本編で設定の全てが明かされなかったのは、彼自身がその「設定」を「わざと」本編では明かさなかったから、なんだよな。

高橋 一応、2クール目から徐々に眼魔の設定を見せてはいったんですが、情報の出し方は少なくて遅いというのはあったかもしれません。だから、眼魔世界のことがわかりづらいのはしょうがないなと。逆にいえば、別にわからなくてもいいかというつもりでした

──変身ヒーロー番組は、仮に敵の設定が漠然としていても成立しますからね。

高橋 もちろん、ちゃんと設定そのものは考えてあって、多少はそういうところを説明してるくだりもあるんですけど、きっちり時間をかけて描いてるわけではないから、そのせいで入り込めないという人がいらっしゃっても不思議ではないと思います。(中略)弥生時代モノリスを信仰してた人々が迫害を受けて、モノリスを通って眼魔世界に渡っていった。そして、そのモノリスが現在どこにいったのかというと、大天空寺の地下にあるんだと。一応、そんなことを考えていて、特に裏設定ということにしてるつもりもないんですけど、同じ世界の人間でしたとは明言してないので、ほとんどの人がわからなかったと思います。まぁ、きちんとそこを描こうと思ったら、ライダーの出てこないエピソードができちゃうので(笑)。要するに彼らが軍服を着る前、眼魔になる前は普通の人間だったのねと。お母さんのアリシアが死んでしまったから、彼らは人の死なない世界を望んだのねと。そこさえわかっていただければ全然いいんじゃないかというふうに思ってます。たぶん、どんな作品も背景は細かく設定されていて、そこの見せ方はそれぞれですから。

▲『仮面ライダーゴースト公式完全読本』より、高橋一浩のインタビュー

 実際、第一章「ガンマ世界創世」では仮面ライダーが出てこなかったしね。「敢えて設定描写を省く」事のメリットは小林靖子小林雄次の「小林姉弟」(←勝手に命名)が語っている。

雄次 靖子さんは「特撮に詳しくないから」という理由で下山健人さんや毛利亘宏さんを東映に紹介されたんですよね。それ、大事だなって思いました。「特撮、大好きです」って言う人が脚本を書きたがることも多いけど、それはただのマニアである場合が多くて。

靖子 そういう人って、えてして設定ばかりにこだわりすぎますよね。東映にもよくライター志望者が書いたものが送られてくるらしいんですけど、送られてくるのはシナリオじゃなくて設定が多いんですって。個人的には、内容が設定よりも面白ければいいと思いますが。(中略)やっぱり基本は小さい子が見るものじゃないですか、特撮って。あとは、あんまり設定に凝りすぎると「そこ説明してもつまんないでしょ」って思います。確かにライダーは戦隊との棲み分け上、少しドラマが複雑だし、主人公たちも大人っぽいですけど、それでも「この設定は大人が突っ込みそうだから」みたいな意識では書いていないです。むしろライダーもどんどん魔法チックになってきているので、戦隊との差は少なくなってきてるかも。

▲『ヒーロー、ヒロインはこうして生まれる アニメ・特撮脚本術』より、小林靖子小林雄次の対談。

 そうか、『ジオウ』に参加している下山健人や毛利亘宏はどちらも小林靖子の紹介で東映に来たのよね。書いてる途中で気付いた。

▼『ゴースト』は「猫なで声」

 ここで、「子供を意識して書いたこと?ないよ、一度もない」と言う発言で有名(?)な脚本家、井上敏樹のインタビューを見てみよう。

──でも、オダギリジョーさんも心配されていたというように、『アギト』はもちろん『クウガ』も『龍騎』も、大人でも考えさせられるシリアスで奥深いドラマでしたから、子供が見ても陽わかるのかなって気にはなってたんですよ。井上さんは「子供番組」であるという意識はどのくらいあったんですか?

井上 ないね。

──あっ、ない?

井上 うん。ない。それはプロデューサーが決めることさ、俺の脚本を読んで。

──そこまで断言していただけると、なんか爽やかですね(笑)。

井上 そりゃさ、セックスシーンとかさ、そんな変なのは書かないよ(笑)。俺だって当然、無意識のうちにストッパーはあるよ。でも、もう長年やってきてればさ、大体わかる。子供ってね、結構背伸びしたがるんだよ。だから、やや難しい方がいいの。

──ああ、たしかにそうですね。自分が子供の頃も、明らかに子供向けにつくられた作品に対しては「この番組、なんかガキくせえな」とか生意気に思ってましたもんね。

井上 そうそう。子供ってそうなんだよ。そう思うんだよ。それはさ、つくり手の姿勢が見えるからだよ。大人がつくると、子供に媚びたようなものになっちゃうわけよ。

 そうするとね、子供はわかるんだよ。敏感にそれを感じるよ。そういうのがいちばんよくない。だからさ、子供番組をつくろうと思ったら、子供のためにつくっちゃいけないんだよ。

……今、ちょっといいこと言っただろ?(笑)

▲『永遠の仮面ライダーシリーズ 語ろう!クウガ・アギト・龍騎』より、井上敏樹のインタビュー

 要するに「猫なで声で話す作品は子供には信用されない」と言う事を言っており、これは『鎧武』を執筆した虚淵玄もその発言に同意している。『ゴースト』は…「猫なで声」だったかも知れない。ここで言う「猫なで声」とは、子供にとって「分り易い」「受け入れ易い」、そして、製作陣の子供への「メッセージ」と言うニュアンスで使おうと思う。因みに、「猫なで声」と言う表現は虚淵玄由来である。

 …でも、井上敏樹はこう言ってるけど、その「猫なで声」な『ゴースト』は明確に子供にウケたよね。

高橋 確かに今回は子供に向けて作ろうという意識がこれまでより強くて、実際にファイナルステージの客層を見ても家族連れがほとんどでした。だから正しく子供にウケてたということなんですが、逆に言えば大人のお客さんが少なかったんですよね。女性ファンも、磯村(勇斗)と山本(涼介)に少しいるのかなという印象で。眼魂の玩具はすごく売れたものの、大人の層が薄いのでイベントとかプレミアム商品は思ったようにはいきませんでした。だから、そこは良し悪しなんでしょうね。

▲『仮面ライダーゴースト 公式完全読本』より、高橋一浩のインタビュー

 うち「kids」がどの程度いるのかは定かでは無いので恐縮だが、今回の「ゴースト編」はこれまでの回と比べても視聴率が高いのよね。13話「ゴーストハンター2018」の視聴率は「3.2%」。これは当時で言うと、4番目に視聴率が高かった回である。この週は裏番組である『ゲゲゲの鬼太郎』が休止していた事もあり、この結果に至ったと思われていたが、次回たる14話「GO!GO!ゴースト2015」は「3.8%」を記録し、2番目に視聴率が高い2話「ベストマッチ2017」に並ぶ結果となった。こう言うと、仮面ライダーディケイド/門矢士の登場と人気でここまで視聴率を上げたんじゃないの?」と思う人もいるかも知れないが、ディケイドは16話まで続投だったにも関わらず、15話「バック・トゥ・2068」は「2.8%」まで数字を落としている為、ゴースト単体の力でここまで視聴率を上げたと言っても、信憑性はあるように思われる。

『ジオウ』視聴率top5(16話時点)

1位、、、1話「キングダム2068」 4.0%

2位、、、2話「ベストマッチ2017」、15話「GO!GO!ゴースト2015」 3.8%

3位、、、8話「ビューティー&ビースト2012」 3.6%

4位、、、16話「フォーエバー・キング2018」 3.3%

5位、、、14話「ゴーストハンター2018」 3.2%

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 「説明不足」と「猫なで声」、この二つを筆頭にネット上でこそかなり叩かれていたように見えた『ゴースト』だが、見えないところ(kids、非ネット民)ではちゃんと評価されていたって事なのかもね。嬉しいですたい!

 とは言え、最初は高橋一浩自身も、井上敏樹と似た考えをもっていたらしく。

──「おばけ」「偉人」というモチーフ、「眼魂」「パーカー」といったアイテムなど、非常に斬新な仮面ライダー像を打ち出されましたが、これらのビジュアル、ギミックに至った経緯や意図をご説明ください。

高橋 放送中に45周年を迎えるということがあり、「原点回帰」を意識しました。1971年の『仮面ライダー』放送開始当初は「怪奇シリーズ」というコンセプトがあり、ちょっと怖いイメージがありました。自分の小さい頃の記憶を掘り起こしてみると、能天気に明るい番組よりはちょっと怖さというか、毒を持った番組のほうが印象に残っています。怖いもの見たさではないですが、子どもがちょっと背伸びをして観るのが「仮面ライダー」かと思い、ヒーローらしからぬモチーフで、かつ子どもが聞いてすぐにイメージできる「幽霊」というわかりやすいコンセプトになりました。「ヒーローは一度死んで甦る」というコピーにあるように「主人公は一度死んでゴーストになった青年です」と。ただ、自分が予想してた以上に、幽霊=怖いという直接的なイメージが強く、各所からのご意見があり、作劇上は明るい雰囲気にして、子どもに怖がられないように配慮することになりましたが……。

▲『「仮面ライダー」超解析 平成ライダー新世紀!』より、高橋一浩のインタビュー。

 紆余曲折あり明るい作風になった『ゴースト』。だが、上のインタビューでも言っていた「原点回帰」は為せたように思えるよね。

▼ライダーの本質は同族争い

高橋 平成ライダーシリーズって、スーパー戦隊シリーズと違ってフォーマットがあるようでないじゃないですか。実際、その年々のモチーフも自由だし、ドラマも自由みたいなところがあるんですが、敵も味方も同じテクノロジーから生まれていて、お互いの主義主張の違いから戦うという一種の同族争い……ここだけは昭和の仮面ライダー1号の頃からずっと変わってない部分なんじゃないかなというふうに思っていて、今回も踏襲しています。

▲『仮面ライダーゴースト公式完全読本』より、高橋一浩のインタビュー。

 それが『ゴースト』チーフP、高橋一浩の思う『仮面ライダー』である。『ゴースト』の場合、仮面ライダーも眼魔も「眼魂」を使い、そのシステム自体は同じよね。しかし、今回の『小説 ゴースト』ではそれとはまた違う形で同族争いが描かれる。それが第一章「ガンマ世界創世」にて書かれた「ガンマ百年戦争である。

【紀元前一七五年~】

 アドニスはイーディスの考案した眼魂システムを本格採用し、グレートアイの力も使い現在に至るシステムを構築する。眼魂システム時代の幕開け──人が死なない世界の実現。反対していたダントンたちも強制的に眼魂システムに組み込まれることになる。

(中略)

 一方のダントンは、アドニスとイーディスが構築した眼魂システムを否定し、秘密裏に強化人間の研究を進める。眼魂システム、アバターを利用した数百年にわたる研究を経て、保存された自らの肉体で実験し環境適応だけでなく人間を超えた強靭な肉体と高い身体能力などを手にいれアバターを捨てる。

(中略)

【数百年前・ガンマ百年戦争開始】

 アドニスとイーディスは禁止したはずの強化人間の研究をダントンが続けていたことを知り、追及する。ダントンが逆に眼魂システムが人間の尊厳を奪っていると反発し、二つのシステムにより民衆が割れて、眼魂システムを利用した人間と強化人間の戦争が起こる。

▲『小説 仮面ライダーゴースト ~未来への記憶~(著・福田卓郎)』より。

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  これもまた、ガンマ(眼魔)世界の民による同族争いのそれだね。…「それとはまた違う形で同族争いが描かれる」と前述したけど、それもちょっと違うな。要は『ゴースト』は「人間」と言う種族同士(同族)の争いを描いていた訳だからね。

 仮面ライダーゴーストが戦う眼魔も「ゴースト」と言う点では同種族よね。また、『ゴースト』本編が進んでいくにつれて、眼魔の正体は眼魂に人間の魂を入れた存在、即ち、人間の仮想分身だった事が明らかになる(宛ら、ショッカーによる改造手術のそれである)ので、2015、6年現在の仮面ライダーと怪人との戦いも「同族争い」だった事になるのだ。これは白倉伸一郎が掲げるライダー三大要素(同族争い、親殺し、自己否定)の1つにも当てはまる(こう見ると、『ゴースト』の中でこの三大要素を全て満たしているのはスペクターなのかも知れないね)(『ジオウ』の「同族争い」ってなんだろう?…あぁ、アナザーライダーが「仮面ライダーの同族」としてそれに該当するのか)。

▼人生は誰も皆一度きりさ

 「ヒーローは一度死んで甦る」が、コンセプトである『ゴースト』の妙且つ面白い所は、そんなキャッチコピーを掲げていながら作品の根幹は「人は死んだら甦らない」と言うところである。実際のところ、『ゴースト』と言う作品は割とメインキャラが多く亡くなっているのだが、その者達は決して甦らないのである。こんな事を書くと「じゃあタケルはどうなの?」と言われそうだが、それは「グレートアイ」と言うシステムがそう言う物なのだから仕方が無い。それにまぁ、タケルは死んでなかったみたいだけどね。これに関してはちょっと苦し紛れっぽいので、自分はあまり口には出さないのだけれど。

高橋●実は第1話でタケルは死んでいなかったんですよ。眼魔世界の技術は科学の延長線上にあるので、本当に死んでしまった人間は生き返らすことができないんです。仙人は瀕死のタケルの魂を眼魂に入れて、肉体は別の場所に保管していたんですよ。第34話に「最初から眼魂にタケルの魂を入れるはずだった」という台詞がありましたよね。だから本当は第12話でタケルが一度消える前に、仙人がタケルの魂を眼魂から肉体に戻していればマコトやアランのように復活できたんですよ。

▲『宇宙船 vol.154』より、高橋一浩のインタビュー。

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 只、やっぱそれだけに「ゴースト編」の「ソウゴとタケルが過去の事故を無かったことにする」のはちょっとモヤったかな。まぁ、「人は死んだら甦らない」と言うのは『ゴースト』と言う作品そのもののコンセプトであって、『ゴースト』のキャラクターの心情で考えれば「故人の再生」には好意的だし、タケルとしても誰にも死んでほしくないだろうし、あの行動も間違っていたとまで言うつもりは無いけれど、『ジオウ』は「フォーゼ&555編」で山吹カリンの死の歴史を変えない選択を取っているだけに、やっぱちょっとね。『ゴースト』らしい展開ではあったけど、『ジオウ』らしい展開ではなかったな。ちょっと皆さんにとっては未来の話になるんだけど、19話の「クイズ編」前編(脚本:下山健人)では、「歴史を変えるなんて後ろ向きの人間がする事だ」と言う台詞を主水に言わせ、父親の死を顧みらせないキャラクターに仕上げているので、この辺は毛利さんとは少しズレがあるように見えるね。何かフォローが入れば良いところ。入んなそうだけど。

 う~ん…、取り敢えず書きたかった事は書いたかなぁ…?まぁ、他にも色々書きたいけど、時間が無ェ!!!!実は、小説『ゴースト』の感想は書きたい事が纏まらず断念してしまっていたのだけれど、『ジオウ』と絡めた事で余計にとっちらかった感想記事になってしまったような気がする…!要するに、自分が小説『ゴースト』に感じた事は、
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 凄く『ゴースト』らしかった。

 と言う事。で、『ジオウ』でも『ゴースト』らしさはかなり出せていたと思う。ディケイド登場にも関わらず、あそこまで「らしさ」を魅せてくれて非常に嬉しかったです。ありがとうございました!

▼余談(『リュウソウジャー』について)
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 『騎士龍戦隊リュウソウジャー』のプロデューサーは高橋一浩みたいですね。

 当初「ゴースト」という作品に感じていた僕のイメージとはまったく違い、明るい台本で、「これ、スーパー戦隊みたいじゃないですか?」と言ったのですが、高橋プロデューサーは「いいんです、今回はファンタジーで行きます」と。ですからスーパー戦隊みたいにならないように気をつけたつもりですが、これはそういう意味でも難しいホンでしたね。

▲『仮面ライダーゴースト公式完全読本』より、渡辺勝也のインタビュー。

 そんな「スーパー戦隊みたいな」作品を排出した高橋一浩の新プロジェクト、『騎士龍戦隊リュウソウジャー』、果たしてどうなる!?(記者会見観たけど、レッドの人どっっっちゃんこ固いな…!)

 

ではこれにて。