レイジング野郎

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『仮面ライダーアマゾンズ season2』Last Episode(13話)「AMAZONZ」感想+考察+『アマゾンズ』総括

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 遂に最終回を迎えた『アマゾンズ』。今回はそれの感想と共に総括も。只、前回(12話)の感想にも書いた通り、今回の記事はあまり自信がありません。バリバリ間違った事を書いている可能性もバリバリあるので、バリバリに読んでください(意味不明)。それではどうぞ…と行く前に先ずは此方の引用を読んで頂きたく。

──シーズン1の時は仮想敵がニチアサ、今回の敵はシーズン1だということですが。

白倉 作り手としては、シーズン1にも反省点があるんです。あれも一風変わったドラマではあるけれど、BS朝日と(TOKYO)MXで放送できちゃったじゃないって。(シーズン2については)残酷シーンの描写がどうこうではなく、作り方として「これ、テレビで見てるものと違うな」、そう思わせられるものでないと配信でやってる意味がないと思っているので。

▲『フィギュア王 No.233』より、『アマゾンズ』プロデューサー、白倉伸一郎のインタビュー

 白倉Pのこの意向は果たせたのか?と言う話です。それではどうぞ。

▼考えて観る

──前シリーズでネット配信の自由さというか、特徴みたいなものを肌で感じられたと思うのですが、それを受けて今回何か変えたきっかけがあったりは?

小林●シーズン1の時は、3、4才の小さなお子さんは難しいとしても小学生が見られる作品にしよう、初期の平成ライダーぐらいに、っていう思いで書いていたんですけど、今回対象年齢は考えてなくて。難しい単語やニュアンスの会話とか、結論が出るまでのちょっとした無駄なやりとりとか、そういうのも入れてました。小さい子も見る作品であれば、テンポ優先で一足飛びに結論を出したり、尺調整が必要な時には真っ先に削られる部分なのですが、今回はあえてやってましたね。

▲『フィギュア王 No.232』より、『アマゾンズ』メインライター、小林靖子のインタビュー

  あ、やっぱ少しは子供意識してたんだ…!

 『アマゾンズ』は『season1』の頃からよく視聴者に「『アマゾンズ』は大人向け!子供には見せられない!」って声が多かったけど、自分はそうは思ってなくて、寧ろ「これは子供と一緒に観るには割と良い内容の作品なのでは…?」とすら考えていたくらい。いや、配信故のリミッター解除のつもりなのかは知らんが、ハード描写もまあまああったけど、話の内容に関しては『アマゾンズ』(と言うより『season1』)は毛利亘宏辺りが意識する「親子と一緒に考えながら観る」と言う点に於いてはかなり優秀だったと思うのです。

小林●普通は、ヒーローの価値観と人間の価値観って同じですよね。ヒーローが倒したいと思ったヤツは人間も倒したいし、ヒーローが助けたいと思ったヤツは人間も助けたいと思っている。けど、『アマゾンズ』はそうなってないんですよ。例えば、シーズン1のレストランの客達を、遥は助けたいと思うけど、人間は当然助けたいと思わない。でも三崎の腕を食べたマモルの事は別だったりする。人間って無意識に、ヒーローにも人間視点の価値観を求めている、それは人間の身勝手なんです。今回は人間の視点はもちろん、マモル達アマゾンの視点もあれば、遥の視点もあるし、仁の視点もある。いろんな視点があるんです。特に千翼なんてヒーロー番組の主役ではありえない行動を起こしますから。なので、いろんな視点から見ていただけると、新しい楽しみ方が出来る作品になっているのかなあと。

▲『フィギュア王 No.232』より、『アマゾンズ』メインライター、小林靖子のインタビュー

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 『アマゾンズ』には様々な視点がある。人間以外にも、怪人たるアマゾンの視点もある。言うまでもないが、この世は人間中心である。「アマゾンだって動物だ!」なんて言ったって、そんなのは人間の耳には届きやしない。しかし、それが人間と関わりのある(人間に害を及ぼさない)類いの者となると話が別になったりする。

 以前、『アマゾンズ』6話の記事に「所詮この世は人間中心」と書いた。『仮面ライダー』では、ヒーローと怪人が共に行動するのは決して珍しくない。そして、それに登場する味方怪人の殆どが敵と同族なのだが、その怪人は倒されない。それは、人類に危害を加える敵種族と違い、そいつだけは人間と共に過ごせているから。人間を襲えばそれは処分され、人間を味方すればそれはちやほやされる。「当たり前じゃん。」と言われればその通りなのだが。
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 何が言いたいかと言うと、自分は『season2』は『season1』程のメッセージ性を感じなかった、と言う事。『season1』は、「異種族の価値観の相違と其故の争い」を落とし所とした。『アマゾンズ』に登場するキャラクターには其々、個々の価値観や視点がある。『season2』でも人間サイドとアマゾンサイド、遥、仁、千翼、様々な視点があり、様々な価値観がある。しかし、この「様々な視点のぶつかり合い」と言うのは『season1』で既に描かれている事である。つまり言ってしまえば、『season2』は『season1』に提示した事柄を只、少し広げただけの作品なのだ。まあ、『season1』では「食べる事」がテーマだったのが『season2』では「生きる事」に変わってるんだけど。「人によって色んな考え方や感じ方があるんだよ」と言うのを『アマゾンズ』からのメッセージとするならば、それを伝える事は『season1』にて疾っくに完了してしまっている。『season2』になってそれを未だに描いても「いや、それもう知ってるし…」となってしまう。
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 しかし、これは長所にもなり得る。『season1』より『season2』の方がストーリーを楽しめている(面白い)と感じている人、結構多いんじゃない?ニチアサの規制や玩具販促をストーリーの足枷と表現するならば、『season1』で「メッセージを伝える」と言う工程をやり遂げた為、『アマゾンズ』には足枷が一つ減った。つまり、『season1』以上にストーリーに集中出来るのだ。前作のテーマをベースに話を構成するだけでいいから。
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 『アマゾンズ season2』は『season1』の焼き直しとまでは言わないものの、なんか二番煎じ感を感じた。いや、話は面白かったし、毎週とっても楽しめたのだけれど。『アマゾンズ』のテーマをそのまま『season2』に落とし込み、それを広げていくと言うやり方は、人に寄っては同じものを見せられている感覚になってしまうかも知れない。と言う訳で、自分の『アマゾンズ』の総括としては「良く言えば正当な続編、悪く言えば二番煎じな作品」てな感じ。「正当な続編」と言う表現は自分の中では結構上手い事言ってるつもり(自画自賛)

▼テレビで放送出来ない作り方

 記事冒頭の白倉Pのインタビューを読んでも解る通り、彼の目標は「テレビで見れるものとは違う作りの作品」である。では、果たして『season2』はそんな作品になれたのか?と聞かれると、自分は「そうなんだろうけど…そう言う事なの?」と答える。何故なら、前述の通り、『season2』はストーリー面に関しては『season1』と比べて、目立って変わった部分は無い。そして、その『season1』の内容はテレビで放映出来た。と言う事はつまり、『season2』がテレビ放映出来ない理由がハード描写しか無くなってしまうのである。
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 『season2』の特徴は只、描写がハードなだけではなく、そのハード描写にも確りと意味が込められていた事。ハゲタカアマゾンが目玉、ゾウ(ムシ)アマゾンが脳味噌、バラアマゾンが首を好んでいた様に、溶原性細胞に感染した新型アマゾンは人の特定の部所を好む習性を付ける事で旧型アマゾンとの違いを描き、イユの家族の残骸が転がる回想や、アマゾンに襲われる隊員達を放っておけず変身するも、結局自分の勢で辺りを死体で埋める千翼等、流血やスプラッタを惜しみ無く描く事で、それらのシーンに悲壮感をプラスした。残酷シーンを只の残酷シーンにしていないのが『season2』ならではの描き方よね。

 しかし、それが白倉Pの狙っていた事の「全て」だと言われてしまうと…正直、もう一声欲しく感じる(贅沢?)。これは別に「もっとグロくしろ!」とか言ってる訳でも「イユの洗浄シーンや七羽さんの授乳シーンをもっとよく見せろ!」とか言ってる訳でもない。これまでの残酷描写は確かに意味を成した。それのお蔭でストーリーもより魅力的に、心を締め付けるものとなった。只…、何と言うか一転集中過ぎるよね(笑)いや、自分は番組業界と言うものを全くこれっぽっちも知らないのでこんな事を言うと白倉Pに「ほんならどないせいっちゅーねん!!」とキレられるかも知れないけどw 兎まれ角まれ、「テレビで見てるのと違う作り方」は出来たは出来たのかも知れないが、自分はもう一つ、何かを求めてしまうのでした(あくまで個人の感想です)

▼死とは
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 千翼は結局、生き残れなかったね…!この事実を見て千翼は「救われなかった」と取るか「救われた」と取るかは視聴者に寄って別れそう。千翼はどんな状況に立とうとも「生きたい」と言う心情を曲げない。しかし、遥と仁に送って貰えた事で、千翼は母親(七羽)やイユとずっと一緒にいられる。あの絵の傍に千翼とイユの腕輪を置いてあげる事で、千翼が愛してきた者と永遠に共に過ごせる様にしてあげるのが遥と仁の優しさだね。このシーン、オイオイ泣いちゃったよ…!白倉Pの狙っていた「テレビで放送出来ない作り方」はこのラストの事もなのかな?どう言った内容がテレビで放送しちゃいけないんだろう…!自分が「あまり自信が無い」と最初に書いた理由は、内容面に於いてどう言うものが地上波に晒せないのか、その線引きがよく解っていないからです。知ってる方がいたら教えてください…!ニチアサでは主人公が死んじゃいけない、なんてルールも無いだろうし(今は規制的に駄目なのかしら?)。そういや、このラストは千翼が死んだ瞬間を明確に描いていない。「これ、結局どっちなん?」って人、割といたな。

──ラストシーンは、巧の死を予感させるような終わり方でしたが、井上さんはドラマの結論みたいな部分は、あえてハッキリ描かないほうがいいと?

井上 ケースバイケースだね。ただ、あんまりハッキリ描くのは野暮なかんじはする。視聴者が選択してもいいじゃない?視聴者がドラマに参加しても構わないわけであってさ。

 俺も巧に死んでほしくなかったんだよ。あいつがそうなっても盛り上がらないよね。

▲『永遠の仮面ライダーシリーズ 語ろう!555・剣・響鬼』より、『555』メインライター、井上敏樹のインタビュー

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 …まあたっくんは『4号』で死んだ事にされちゃうんだけど…!千翼はあの後、どうなったのか。それは皆様の心の中で結論をだして戴きたい。

▼そして戦いは終わ…らねぇ!
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 千翼、七羽(クラゲアマゾン)、2体のオリジナルは駆除された。しかし、アマゾンの脅威が去った訳ではない。人とアマゾンの戦いは終わらない。だって、人は始める事は出来ても終わらせる事は出来ないから。『season1』でもそうだったけど、『アマゾンズ』は戦い続ける事こそがこれ以上に無いくらい"らしい"終わり方よね。だから『season2』は最初は乗り気じゃ無かったんだけど、楽しませて戴きました。ありがとう、『アマゾンズ』。
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▼余談「『仮面ライダー』だからダメ」

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 画像は『ドライブサーガ 仮面ライダーチェイサー』より、エンジェルロイミュードのお色気シーン(?)である。これを撮ったのは『アマゾンズ』でも監督を勤めた巨匠こと石田監督だが、本来はもっと過激なシーンにする予定だったらしい。しかし、仮面ライダーと言う媒体であるが故に、どうしても子供の目から完全に逃げる事は不可能。その為、この程度に収まったらしい。『仮面ライダー』のメインターゲットは言うまでも無く、ちびっこである。いくら「大人向け仮面ライダーを唱おうと、それに『仮面ライダー』と言う名前が付いている限り、子供の目は絶対に避けられない(『アマゾンズ』を観ていた子供もまあまあいたらしいね)。『仮面ライダー』である限り、規制と言う物は常に隣に立っているものなのだ。

 

ではこれにて。